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  1. 色の雑学】スクール水着はなぜ美しいのか。ヒミツはその色「紺色」にある。実は紺色をネガポジ反転すると「肌色」になる。つまり紺色と肌色は「反対色」の関係にあるんだ。反対色はお互いの色を引き立て合う効果があるんだ。つまり、女子の肌を一番引き立てる色がスクール水着の紺色なんだ。
  2. 携帯電話によって

    >女の子の家に電話をかけるときと、お父さんが出てしまったときのドキドキ感は失われてしまった

    お父さんはファイアウォール。
     「娘はおらん!(ガチャ!)」

    お兄さんは攻性防壁。
     「なんだお前、俺の妹になんか用か?」

    妹はアラーム。
     「おねーちゃーん、男の人からでんわ~」
     「なにぃ?」←攻性防壁が反応
     「なんだと?」←ファイアウォールも反応

    お母さんはバックドア。
     「代わってあげるわね。うふふふふ」

  3. 初めて消費税が導入された1989年・・・
    あれから2014年の消費増税に至るまで、
    バブル崩壊
    阪神淡路大震災
    同時多発テロ
    リーマンショック
    東日本大震災など様々な出来事が起こった・・・
    そんな中でもただ一つ変わらないことがある。

    「中日の先発は山本昌」
    #npb

  4.  ドイツの「過去」を利用して国際社会で対日批判を展開しようとする中国に、待ったがかかった。

     中国の習近平(シー・チーピン)国家主席は先月末にオランダで開催された核安全保障サミットに出席した後、フランス、ドイツ、ベルギーを回った。

     欧州訪問が正式に発表される前から、中国はドイツで「日本の軍国主義時代の戦争犯罪」への批判を繰り広げるつもりだとみられていた。ナチスの罪を真摯に償うドイツに比べて、日本の政治家は中国や韓国における残虐行為への謝罪が足りない、というわけだ。

     ただし、ドイツは当初から、中国の策略に強い懸念を示していたようだ。ロイター通信の報道によると、ある国の外交筋は、「ドイツは中国と日本の対立に巻き込まれたくなかった」と語っている。また、ドイツの外交官は、「このようなやり方にドイツは嫌気が差している。中国がいつもドイツと日本を比べ、戦争の話を持ち出すことを喜んでいない」と指摘する。

     中国はベルリンでホロコースト記念碑を視察したいと打診したが、ドイツに断られた。代わりに戦没者追悼施設の訪問を提案したところ、ドイツはメルケル首相の同行は拒否したが、習が行くのは構わないと伝えた。

     すると中国は、今回のドイツ訪問で、日本との歴史問題を国際社会にアピールするつもりだという報道を否定し始めた。駐ドイツ中国大使の史明徳(シー・ミントー)は、中国がドイツの過去を利用して日本の顔をつぶそうとしていることを、ドイツが快く思っていないとする報道を批判した。「ドイツ人は騒ぎ立てたりしない……そこが、歴史との向き合い方でドイツと日本の違いだ。そのことは世界中が知っている」

    謝罪と受容による解決

     習がドイツに到着した頃、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストに、ミハエル・クラウス駐中国ドイツ大使のインタビューが掲載された。クラウスは「歴史に対するドイツの姿勢を利用して、日本と中国の緊張を刺激するのは好ましくない」と語り、ドイツは中国とも日本とも緊密な関係にあり、「2国間の領土紛争に巻き込まれるいわれはない」と述べた。

     クラウスはさらに、ヨーロッパの戦後の和解は双方向だったと指摘。ドイツの謝罪と、昔の敵国がそれを受け入れたことの両方が、重要な役割を果たしてきたと語っている。

    「20世紀のあらゆる惨事を経験して、ヨーロッパはようやく、違う道を見つけなければいけないと悟った……ドイツが自分たちの戦争の歴史を受け入れると同時に、ほかのヨーロッパ諸国が和解に向けて歩み寄り、ドイツの真摯な謝罪を受け入れることも不可欠だった」

     この発言は中国に対し、日本が近隣諸国に謝罪してきたことを、もっと受け入れる姿勢を示すべきだと促していると受け取れる。

     クラウスは、ヨーロッパに法の支配が確立していたことも、和解を後押ししてきたと語る。欧州司法裁判所などの制度を通じて、国家間の対立を解決できる点を指摘した。

     中国は近隣諸国と多くの領土紛争を抱えているが、国際的な仲裁をかたくなに拒否。すべての対立は当事国の間で処理すべきだと主張するが、ほとんどの2国間関係では中国がより大きな影響力を持っている。

     習はベルリン市内で講演した際、南京事件などに言及して、戦時中の日本の軍国主義を批判してみせた。もっとも、習の訪問をめぐるいきさつが物語るように、ドイツはこの件で中国の肩を持つつもりはなさそうだ。

    From the-diplomat.com

    [2014年4月15日号掲載]

  5. あと若手社員男女にXPでネット接続するのは避妊なしで性交するようなものだぞと注意したら「それくらいなら別に…」と鈍い返事しか返ってこなかったので絶望しました。
  6. ところが昨今、訳の分からない連中が増え過ぎまして、
    ここ海ですよー!
    って言っても分からないんですね。
    やれ、服が濡れただの、水が塩っぱいだの言うわけですよ。さらには、深すぎて取りに行けないとか言い出したり、溺れてしまったがどうしてくれるんだとか言い出す始末なのです。
    海だっつってんだろバカ!
  7. 自分の思い通りにならないからって
    世界を滅ぼそうとするのやめてくれません?
  8. ニューエラのシールを剥がすとニューエラから執行人がやってきて鞭で叩かれる
  9. 拝啓 安倍内閣総理大臣殿

                       和歌山県田辺市  西川 清 (97歳)

     日夜国事に精励されている総理大臣に対し、名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。

     私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
    それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。
    結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません。
     かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道(コウゲンドウ)の
    寧越群(ネイエツグン)及び原州群(ゲンシュウグン)の内務課長を歴任した経験があるからです。
    以下、当時の状況等について申し述べます。

     私は昭和八年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。
     朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、群庁より府・邑(ユウ)・面(日本の市町村)を通じて施行されました。(当時、
    江原道内には府はなく、邑と面のみ)。

     群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。
     内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。
     朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道にたいし人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面にたいして割り当てをして、集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。
     女子にたいしてはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが、このようなことは一切ありませんでした。
     売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かそのたぐいの者の仕業であって、軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
     日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。
     日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。
     今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。
     然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。
     国威を失墜し児孫に負の遺産となる「河野談話」の見直しは、安倍総理を除いては望むべくもありません。
    ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。

     最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。
    敬具

                  略歴
    大正4年  和歌山県田辺市生まれ。
    昭和8年  和歌山県立熊野林業学校(現・和歌山県立熊野高校)卒業と同時
          に朝鮮江原道内部産業課勤務。
    昭和12年 朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任
          官。
    昭和13年 臨時召集により歩兵第76連隊入隊。14年招集解除。
    昭和18年 寧越郡内務課長。
    昭和19年 原州郡内務課長。
    昭和20年 道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。
          引揚。
    昭和21年 厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
          和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを
          歴任。
    昭和42年 依願免職。                      以上

    引用元
    フェイスブック:九人の乙女・正岡の赤い花
    https://www.facebook.com/pages/%E4%B9%9D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B9%99%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E3%81%AE%E8%B5%A4%E3%81%84%E8%8A%B1/580968958579827

  10. 10年ぐらい前にテレビのオタク特集を見てて、私に「お前はこんな気持ち悪い馬鹿なものにはまるんじゃないぞ」と言っていた私の父が今では艦これにはまり、「今まで俺はなんで二次元をバカにしてたんだ。やはり足柄さんは俺の嫁だった・・。」と俺に言ってくれた時はある意味感動した。